鎌倉古道の森と大地3
2016年 03月 21日
法性寺(ほっしょうじ)の山裏にある
北条氏が三浦半島を拠点とした三浦氏の侵入に備える為に
造った人工的な崖でお猿畠の大切岸と言われ800mに渡り
続いている城壁に似たもので現在は石切り場だった事が
判明している。長い年月によって石壁が風化され独特の
景観が作りだされていて歴史の重さを感じた
続く
驚きです。
もとは、
どんな地形だったのでしょうね。
この断崖は四角い板状の石を切り出した結果
このような形になったそうです
その後、浸食を繰り返した結果このような形になったと思います
自然の力と人の力の融合でしょうね。どんな地形だったか想像がふくらみますね
そうなんですよ
大切岸を見た時大分県の青の洞門を思い出しました
どちらも,ノミとカナズチだけの手作業で手間、暇、かかっただろうと
思いました。長年の浸食で面白い模様が作りだされて
自然の力って凄いと思いました
顔にも見えますか。僕もそう感じました
お猿畠の大切岸の名前通り猿の顔に見えました
山道だと踏みならされる事もあるでしょが
岩を触る人はいないでしょうね
多分、僕だけかも、あっ、今回は触ってないですね
触ると、ごつごつした感じなのかなァ
ノミとトンカチだけで岩を切り出したのも凄いですが
工事が終わってから富士の噴火で火山灰が積もったりとか
時間の経過と共に岸壁の形も変化していって現在に至っているんでしょう
ほんとにロマンを感じてしまいます
実際に工事後に富士の噴火で火山灰が切岸上に積もったそうです
噴火の影響や、地震の影響で
形が変化したのでしょうね
そんなこんなで北条氏の防御壁が現在も遺構として
残っているなんてロマンを感じるし北条氏も草場の影で驚いてるでしょうね