東京の空3




雲が踊る9月の空



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# by yaguchitenga | 2017-10-23 05:42 | 写真 | Comments(4)

September of green light



残暑が厳しかった9月にタイムスリップ

ベンチの背中越しから見た緑色の光

もう少し涼しくなったら恋人たちが座って愛を語りあうのだろう



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# by yaguchitenga | 2017-10-22 05:26 | 写真 | Comments(4)

Of the light ring






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# by yaguchitenga | 2017-10-21 05:15 | 写真 | Comments(6)

東京の空2




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分厚い雲と光の道
雲に阻まれる前に撮れた
でも雲から出る前の光芒が見られたかも、どっちが良かったかな?



# by yaguchitenga | 2017-10-20 05:49 | 写真 | Comments(6)

東京の空1






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雲から光の柱が立った



# by yaguchitenga | 2017-10-19 05:35 | 写真 | Comments(6)

武蔵野紀行50



ネットで面白いニュースとか見ていたら市ヶ谷の市谷亀岡八幡宮に
銅製の鳥居がある事を知って8月下旬頃に行って来た
行ってみると物凄い階段を上る事になった



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でも5年前に行った和歌山の熊野神社へ行く坂道や階段の方がきつかったから
屁でもないと思って上ったけど暑さにほとほと参ってしまった
やはり神様に会いに行くのだから当然かも知れないが
建立された江戸時代は現代よりも江戸には武蔵野台地独特の山や谷が多くて
お参りするのも楽ではなかったはずである。参拝も願いを叶える為の修行だったのかも



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一息入れて珍しい鳥居を撮る
鳥居は文化元年に建立した高さ5mの銅鳥居で新宿区内ではこの神社だけだそうだ



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柱には442人の寄進者とその職業が刻まれている



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銅製の鳥居を見て30年以上前に故郷の佐賀県有田にある
陶器の神様を祀った陶山神社に陶器製の鳥居があった事を思い出した
その後ポジフイルムを探したのだが見つからず紛失したらしい
銅製の鳥居が珍しかったので比べてみようと思ったけど残念である


















# by yaguchitenga | 2017-10-18 05:25 | 写真 | Comments(6)

武蔵野紀行49




下町資料館を出て上野公園を駅まで、ちょっとぶらぶらした時に見つけた大木の根っ子



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まるでエイリアンだった


# by yaguchitenga | 2017-10-17 05:05 | 写真 | Comments(6)

武蔵野紀行48

他にも、嗚呼懐かしいなと云うモノがあった
五右衛門風呂である



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五右衛門風呂は母親の実家にあって、こちらは鉄釜のように見えるが
母親の方は確か石釜だったような、無いような
底は熱いので風呂に合わせた板敷を沈めて入る
何故そうするのか疑問になったので聞くと暑いからと云われたので
ホントに熱いのか試したらマジ熱かった
なんで江戸風味の五右衛門風呂があったかと云うと
亡くなった祖父が大分県の日田市で江戸時代の儒教の先生のガイドを市役所に頼まれて生家に住んで生活していたのだ
話が長くなるので6年前に母親の元実家件儒教の先生の住まいを物凄~く久々に
訪問した。現在は誰も住んでなくてガイドの方が儒教の先生の事を説明している
懐かしかったけど、がら~んとしていて少し寂しかった
その記事はコチラ

http://yaguchiten.exblog.jp/14876710/



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かまど、これは昭和じゃなく大正時代だろうと思う
かまどにマキをくべて煮炊きをするようになっていて長屋の人が共同で使用していた
上の五右衛門風呂もマキを焚いて沸かしていたし
僕の二度目の家の借家の風呂もマキで沸かしていた
4度転居しているが3度目~4度目はガス風呂になった
3度目はアパート住まいで最初の頃は珍しく感じた
ちなみに、かまどの事を「へっつい」とも言うそうだ
この前BSで見た落語の演目「へっつい幽霊」で知った


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浅草などを走っているから人力車はご存じだと思う
現在の人力車の値段は3000円だそうだが明治から大正の値段はいくらだったんだろう
インドのコルカタにも走っているが車道には出れないのでストリート周辺を流している
3度目のインドでコルカタに寄った時、数は前よりも減っていた
人力車は昔日本がインドに輸出したそうで
そのj人力車が今でも残っている。ただ、数が減って来ているので何時絶滅するか分からない
僕は2度目のインド、コルカタでリキシャのオヤジと仲良くなって
オヤジを乗せて引っ張ってみたが、うんともスンとも動かなかった
周りのインド人達は、それを見て大笑いしていた
リキシャマン達は浅草で見かける人力車の兄さん達より痩せていて
何処にリキシャに人を乗せて走る体力があるのかと今思っている
引くコツがあるのだろうか、彼らは何時もハダシで走っていた
ちなみに浅草とか東京の観光地では女性も人力車を引っ張って歩く姿を見るが
大した体力である。昔、スポーツをやってたんだろうかね


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空襲時の避難訓練のポスター
このマスクって一体?
竹槍訓練と同じでな~んの役にも立っていないと思う
でも大変だったんだろうね


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祭りの縁日で見かけたゲーム機。多分スマートボールの子供向けだったように思える
4度目の時転居したのが佐賀県の温泉町だった
大阪の写学から帰省した折り中学生時代の仲間と夜温泉街に行って
スマートボール屋に行って遊んだ事があるが
これってスマートボールも20歳じやないとダメだったんだっけ?
でも高校卒業して、すぐパチンコやったけど何も云われなかった
昭和って大らかな時代だったんだなあ
ちなみに高校卒業して当時話題になった「エマニエル婦人」を見に行ったけど
受付の人に「君、歳は?」と聞かれ「卒業しました」と言ったら入場させてくれた
何ていい加減なんだろ、見る方も見る方だが入場させる方もさせる方だ^^




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ラストは駄菓子屋です。カラーにしたのは色が綺麗だったから
この陳列されてるお菓子で知っているのはグリコキャラメルと明治キャラメルだけだ
もしかしたら見逃したのかな
でも、チューブ入りのチョコレートは無かったし、粉末ジユースも見かけ無かった
ガチャガチャも無かったな
今でもあるガチャガチャだがお菓子類を全く見ないのに気が付いた
殆どがミニチュアモデルなのである
僕の時はボール型のガムだったかな


続く










# by yaguchitenga | 2017-10-16 05:15 | 写真 | Comments(8)

武蔵野紀行47



下町風俗資料館の付設展示場の旧吉田屋酒店に行った1週間後に
上野公園内にある下町風俗資料館を訪れた
大正から昭和までの長屋からテレビが普及し始めた昭和の風景を見たくなったのだ
上野公園にには何度も行った事があり資料館は知っていたが素通りしてしていた
これも雅叙園の百段階段のイベントが、きっかけで
もう一度昭和の木の香りのする家を見たくなったのだ


大阪の写真学校に入学が決まった時に初めて買った写真雑誌のアサヒカメラに
篠山紀信が「家」と云うタイトルで古民家の内部の写真を発表していた
それまで篠山紀信の名前を知ってはいたがアイドル雑誌の専属カメラマンで
主に表紙写真を担当していて名前が目次に出ていたので知っていただけだったが
アイドル以外の写真を見たのも初めてだったし
バイタリテイ溢れる「家」の写真に釘付けになり,その後、彼の写真を、あらゆる媒体で見る事になった


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復元された昭和の家の内部
僕が生まれた時、言葉が上手く喋れるようになった時にはテレビがあったが
電話は中学になってからだった
そんな小さい時の記憶で覚えているのが「小人プロレス」だった
小人がプロレスをしているのに驚き興奮しながら見ていたけど
何時の間にか放映がされなくなった
後に知った事だが差別に繋がるという理由で打ち切りなったそうだ
元々は女子プロレスの前座試合で、試合を見に行かない限り彼らを見る事が無くなった
すっかり小人プロレスの事を忘れてしまったある日にお笑い番組に
小人レスラーが出て来て飛んだり跳ねたりしていた
差別問題が根底にあるのも寂しい話で彼らは、ハンデイを乗り越えて仕事をしているのにと
この間も彼らが出ていた番組を見て改めて思った
ちなみに現在は跡継ぎが無く二人しか小人プロレスラーがいなく絶滅しかけているのだそうだ
ラジオは父親の野球を聞くための必需品で必ずテレビとラジオを付けていた
なのでうるさくて仕方がなかった。野球の季節が終わると、ほっとした
ラジオは中学生から深夜放送を聞きだした
写真にあるようなラジオではなく新しく買って貰ったお洒落なラジオである


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東京オリンピックを小学校の家庭科室か何かで見た事がある
先生がテレビの扉を重々しく開いていた
カラーになったのは僕が中学生の時だった
テレビ横のミシンは足踏み式で小学校の家庭科でミシンの授業があったので
母親からやりかたを教わった



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右にあるのは炊飯器で僕の家と同じ型だったかな



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下駄も見なくなった。散歩に行く時の大人のアイテムだったような気がする



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ちゃぶ台
よくテレビドラマでひっくり返されていた



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汲み取り式トイレ
左にあるのはトイレ用の水タンク?
僕の子供の頃の家は農家の借家で外にトイレがあって
トイレから手が出てこない様に祈っていた
行くまでの通路の電気が暗くトイレ内も暗かったからだ。冬の夜は、めちゃ寒かった
水は直接落ちると、びちゃびちゃになるので
外に落ちる仕組みになっている


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土間に落ちるようになっていたが
家は外にあったので土間がびちゃびちゃになる事はなかった


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僕の家は借家だったので家の前にある大家さんのお風呂を貰っていた
冬は沸かさない時もあったが夏は大変なので
両親の知り合いの家にお風呂を借りに行っていた
街灯が暗く懐中電灯で道を照らしながら歩いて貰い風呂をしていた
今時こんな街灯が無いと思うし
こんな街灯で一人で歩けと云われたら泣き叫ぶだろう
それだけ夜が怖かった
でもその分、星が綺麗に見えていた
その後、家を越して、また借家だったが風呂付だったので嬉しかった事を覚えている



続く


# by yaguchitenga | 2017-10-15 05:29 | 写真 | Comments(8)

武蔵野紀行46

寛永寺の初代住職は徳川家康の右腕と云われた天海で織田信長に焼き討ちにされた比叡山延暦寺の僧侶を務めていた
なので西の比叡山延暦寺を見たて山号は東叡山寛永寺の山号を持っている




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灯籠に装飾された睨みを効かせた龍と角にに展示してあった鬼瓦

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寛永寺は江戸・東京の鬼門だと言われて
彰義隊によって破壊されてはいるものの明治に入り再建された
第二次世界大戦の戦災を免れたのも
邪気を払うと言われる龍や鬼瓦の加護かも知れないと思った


続く


# by yaguchitenga | 2017-10-14 05:00 | 写真 | Comments(4)