武蔵野スナップ1
2018年 07月 24日
八景天祖神社が建つ高台から廃家なのか
家主が住んでいるのか解らない家を撮って
神社の階段を降り高台下から続く八景坂に戻る
大森馬込に明治~大正、昭和にかけて住んでいた文人のレリーフを見て
八景坂を歩く。現在は手前の駅やマンション、商店街に遮られているが
昔は眺望良好で安藤広重の浮世絵に描かれる程だったそうだ
昔は相当の急坂で台地のはずれにある崖の事をハケと呼んでいた由来から
ハケが訛り八景坂とか名前が付いたとか他にも諸説あるらしい
坂の階段を見たら本郷の急坂と全く変わらないと思った
本郷も山あり谷ありの街だったからだ
パスタ屋の古時計
神社に戻って撮った八景坂の階段
続く
それ以下の風景ではまったく趣が変わりますね
隣り合わせでこういう風景が並ぶのも都会ならではですね
昔はどんな風景だったんでしょうか
コンクリートの階段ではなく砂利が敷き詰められた坂道だったんでしょうね
この辺りは農村で駅の反対側は海が広がっていたそうです
すっかり変化したようですが当時の名残りの
坂道がたくさんありました
簾が生活感を感じさせます。まだ人が住んでるのじゃないかな。
まだこんな家が残ってるなんて、
廃家だとすれば、いつか解体される羽目に陥るのでしょうか。
こういう家が消えていくと味気なくなりますね。
八景坂界隈、広重がどんな風に描いていたのか興味津々。
この辺り、散策するのが楽しそうですね。
この界隈はちょっと懐かしいです。
確かにハケ(崖)と言われればこの辺りの地形もそうですね。
JRの線路辺りまでは昔は海だったようなので、
武蔵野台地の端っこが海に切れ込んでいた地域なのかも。
簾はよく夏の陽射し避けで見ますが
簾が下がっているのは、まだ生活してるのでしょうね
手入れが行き届いて」ないように見えるので老人が
住んでるのでしょう。古さを感じますが人も家も古くなって
何時かは消えていくのでしょう
広重が描いた八景坂から見た風景を機会があれば見たいものです
へえ、そうなんですか
僕も九州では親の仕事や家関係で変わったりしてました
何時も一つの場所に居たいと思ってました
此処は初めて歩きましたが山や谷が複雑に入り組んだ街だなと思いました
品川も江戸時代は町の半分が海だったようですね
アソコの京浜急行の反対側も坂道が多かったです
その海を戦略的に土地を広くする為に埋め立てて
現在の姿に変化したんでしょうね